こんにちは!kamikamiです!
今回は最近炎上騒動となった
【令和闘魂三銃士】
のことについてです。
なぜこんなにファンだけでなくレスラーまで賛否両論が巻き起こる問題となりました。
なぜここまでの炎上騒ぎになったのかをプロレス観戦初心者の方にも解りやすく紹介していきます。
まず、「闘魂三銃士」の歴史から見ていきましょう!
「闘魂三銃士」の歴史を知ろう!
「闘魂三銃士」の誕生は1980年代に、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也によって結成された呼称です。
この3人は新日本プロレスの人気の一時代を築きました。
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名前は、アントニオ猪木の代名詞である「闘魂」にアレクサンドル・ディマの小説「ダルタニャン物語」に登場する「三銃士」を組み合わせました。
現在、新日本プロレスにあるユニットとはまた違います。
あくまでも「括り」だけなので、タッグで同じチームになれば共闘しますが、対角線で敵となることもあります。
ライバルでした。
しかし、この3人には「世代交代を迫る」という同じ目標があったのでファンは大いに盛り上がりました!
昔、私の地元に新日本プロレスが興行に来た際、メインが「闘魂三銃士」がタッグで闘う試合でした。この3人はやはり華があり、オーラがありとても興奮したのを覚えています。
「新闘魂三銃士」もあった!
あまり知られてはいないですが、
「新闘魂三銃士」
もありました!
2004年のことです。
同世代の棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼の3人でした。
柴田勝頼は「俺を新三銃士でくくるな!」と猛反発しました。
なので「新闘魂三銃士」はあまり記憶に残ってはいないのではないでしょうか。
柴田が新日本プロレスを退団したことで代わりに後藤洋央紀を加えてみたりしていました。
「令和闘魂三銃士」とは?
突然、新日本プロレス公式HPにて「令和闘魂三銃士」の発表がありました。
突如の命名であったのでファンはビックリしました。
また命名された3選手は、誰一人受け入れませんでいた。即日拒否です。
俺が俺がで戦いたいのに、なぜ括られなければならないのか?
自分が望んだことではないので余計に反発しました。
ファンからも「いつまで過去を引きずるのか?」など否定的な意見が多かったです。
会社側が若手を売り出すための作戦でしたから。
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「闘魂三銃士」まとめ
「闘魂三銃士」とは、会社側が決めた括りです。
自分の意志とは関係なく括られるのは面白くないと思うレスラーもいます。
これはもっともな意見です。
しかし、約25年後、蝶野正洋は、「G1クライマックス33優勝決定戦」の解説をした際に、実況アナから
「ご自身、闘魂三銃士と呼ばれることは当時はどう思ってましたか?」
との質問に
「当時はあまり良い気分ではなかったが今思えばよかった」
と話していました。
同席していた棚橋弘至も同じことを話していました。
「闘魂三銃士」と呼ばれたレスラーはみんなトップレスラーになっています。
「令和闘魂三銃士」の3人もきっとトップレスラーになって、この炎上騒動を懐かしく思える日が来ますね。