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【馳浩】どんなレスラーだったのか?得意技のジャイアントスイングや入場曲紹介!知らない人にもわかりやすく!

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プロレス

こんにちは!kamikamiです!

2023年1月1日からプロレス界でビックリすることが起きました!

現職の石川県知事である「馳浩知事」がNOAHの元旦に行われた大会でサプライズ登場しました!

登場まで「X」としか紹介されてなかったので、馳のテーマ曲が流れるとどよめきが起こりました。

現職の知事が試合するなんて初ですから。

実際試合を見ましたが、ノーザンライト・スープレックスホールドは現役とかわらないキレでした。ブリッジも綺麗でした。

体もトレーニングは欠かしてないんだなと思わせるものでした。

年末年始の休暇中の参戦でしたが、石川県民だけではなく日本中から賛否両論が起こりました。

「石川県の県知事が一番強い!」

「元気だなとおもった!」

「万が一怪我をしたら公務はどうするつもりだったのか?」

「非常識」

などなど。

これ以外にもさまざまな意見が飛び交いました。

年頭の県庁での記者会見で「石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた」と危機管理上の問題はなかったと話しています。

私は石川県民ではありませんが、個人的な意見として「休暇中なのだから試合に出てもいいと思う派」です。怪我をしないようにきちんとトレーニングをしている思います。

昭和と平成のプロレスを見てきたファンに

「馳浩」はどんなプロレスラーだった?

と聞くと、いろいろなエピソードを話してくれるはずです。

最近は、馳浩の現役時代の活躍を知らないというプロレスファンも増えてきました。

これはプロレスラーの世代交代の結果なので仕方のないことなんです。

『馳浩』は、「巧い」だけではなく、「魅せる」もありました。

今回は、

「馳浩はどんなレスラーだった?」

プロレス観戦初心者の方にもわかりやすく紹介していきます。

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「馳浩」

馳浩は、1961年生まれのレスラーです。

「闘魂三銃士」と同じ世代になります。

蝶野正洋は1963年、武藤敬司は1962年、橋本真也は1965年、佐々木健介は1966年になります。

1984年ロサンゼルスオリンピックにレスリング代表として出場しています。

1985年ジャパンプロレスに入門しました。

ジャパンプロレスを選んだ理由は、大学の先輩である長州力がいたからとされています。

その後、新日本プロレスへ入団し活躍しました。

2005年に引退しました。

「馳浩」が政治の世界へ

1995年に国会議員になりました。

2015年には「文部科学大臣」も務めました。

現在は、石川県知事となっています。

「馳浩」のタイトル歴

新日本プロレスで戴冠した王座です。

  • IWGPジュニアヘビー級王座
  • IWGPタッグ王座

など。

以外にも「IWGPヘビー級王座」には戴冠していないんです。

佐々木健介との「ハセケンタッグ」は有名でした。

「馳浩」の得意技

馳浩の得意技には投げが多いです。ドライバー系や打撃系はあまり使いません。

裏投げ

「サンボ」の修行中に自分の技としました。馳がプロレスに持ち込んだとされています。

「サンボ」は、ソビエト連邦時代に開発された格闘技です。軍隊格闘技の位置づけでした。日本で例えると「柔術」になります。

相手の力量に合わせて落とし方の角度を調節できる技です。

柔道家チョチョシビリがアントニオ猪木との異種格闘技戦で猪木からKOを奪った技でもあります。

馳の使う裏投げは、相手の側面から組み付き相手の脇の下に自分の頭を潜り込ませ、片腕で相手の首の付け根、もう片方の腕で相手の腰を抱えて相手を後ろに反り投げます。

ノーザンライト・スープレックス

「ノーザンライト・スープレックス」は、日本語で「北斗原爆固め」と言います。

フロント・スープレックスの派生技になります。

相手の脇の下に自分の頭を潜り込ませて相手の腰を両腕でクラッチします。

そのまま持ち上げて後方に投げてブリッジします。

相手の両腕を固めて投げるので、相手は受け身が取りづらい技です。

現在は、多くのレスラーが使用しています。

フィニッシュ技としてはもちろんのこと繋ぎ技としても使われます。

ジャイアント・スイング

馳浩と言えば「ジャイアント・スイング」です!

「ヨイショ!」の掛け声とともに相手の両足を抱え自分を中心に回転して相手を振り回す技です。

相手の三半規管にダメージを与え平衡感覚を無くす技です。

全盛期は30回転を越えました。

綺麗に見せるには力が必要なのかと思いますが、優れた平衡感覚とバランス感覚が必要な技です。

回し終わった後、自分にもダメージ(目が回る)があるので、タッグマッチでは狙われることが多かったです。

ライオネス飛鳥や井上京子も得意としていました。

逆水平チョップ

馳の逆水平チョップは自分の試合の流れを作るのに大切な技です。相手に当った時の音が気持ちいいです。良い音をさせられるのも技術ですね。

鎌固め

テクニシャンであるレスラー使う技です。インディアン・デスロックの派生技です。元祖はアントニオ猪木と言われています。綺麗なブリッジをするところがこの技の見どころです。相手のスタミナを奪うとともに足関節と首から背中にかけてダメージを与えることができる技です。

「馳浩」と巌流島

1991年、山口県の巌流島で

馳浩VSタイガー・ジェット・シン

がありました。

勝者には、翌年1月4日東京ドーム大会でのアントニオ猪木への挑戦権が懸けられていました。

約1時間に及ぶ死闘の結果、馳浩がKO勝ちしました。

「馳浩」のTシャツ投げ

馳と言えば入場時に観客への「Tシャツ投げ」が印象的でした。コーナーポスト最上段から投げるTシャツはみんな欲しがりました。毎回投げる方向を焦らすところが見ていて面白かったです。

「馳浩」の入場曲

馳のキャラクターにピッタリな目が覚めるときの朝日のような曲です。

「馳浩」のコスチューム

馳浩のコスチュームと言えば黄色です。

黄色のショートタイツに黄色いリングシューズ、黄色いニーパッドでした。

髪型は、この時代に流行った、長い後ろ髪です。

ファッションではないですが、甲高い声も特徴でした。

ものまね芸人の神無月が甲高い声をマネしていますね。

「馳浩」まとめ

県知事レスラー「馳浩」

プロレス界に残した功績は大きいです。

プロレスラーは、「強さ」と「巧さ」と「明るさ」の3の力が備わったレスラーだったと思います。

ファイトスタイルは現在のプロレス界にも影響を与えていると思います。

2023年の記者会見で、今も現役という認識なのか?という記者の質問に対して、

「今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている。私は死ぬまでプロレスラーです。」

と語っています。

そうだ!プロレスラーは死ぬまでプロレスラーだ!

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