こんにちは!kamikamiです!
昭和と平成のプロレスを見てきたファンに
「蝶野正洋」はどんなプロレスラーだった?
と聞くと、いろいろなエピソードを話してくれるはずです。
今は解説者として姿を見ます。
最近は、蝶野正洋の現役時代の活躍を知らないというプロレスファンも増えてきました。
これはプロレスラーの世代交代の結果なので仕方のないことなんです。
まだまだ第一線で戦っている小島聡や天山広吉、永田裕志などでも世代で言えば、ひと世代前のレジェンドレスラーになりますから。
話は戻って、
『蝶野正洋』は、「強い」だけではなく、「セルフプロデュース力」もありました。
今回は、プロレス観戦初心者の方にもわかりやすく
「蝶野正洋はどんなレスラーだった?」
プロレス観戦初心者の方にもわかりやすく紹介していきます。
「蝶野正洋」と闘魂三銃士
武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の同世代の3人は「闘魂三銃士」と呼ばれ、それは大変な人気でした。
それぞれ個性やキャラクターが固定されていたので、誰が飛び抜けて人気があるとかはなくそれぞれ人気があったと思います。
出典:週刊女性PRIME
【橋本真也】どんなレスラーだったのか?得意技・名言・入場曲など紹介します!知らない人にもわかりやすく!
「蝶野正洋」とキャラ変
G1クライマックス優勝直後のリング上で突然の不満を叫ぶコメントをしました。
見ていたファンは少しの時間あっけにとられました。
今思えば、闘魂三銃士のなかで比較的優等生で地味なイメージがあった蝶野が、「黒のカリスマ」として一気にプロレス界のトップに上り詰める始まりの瞬間でした。
出典:伊賀プロレス24時
「蝶野正洋」黒のカリスマ
私の蝶野正洋のイメージは
「黒い策士」
です。
試合の流れをポイントで確実に掴み勝利するという頭脳派のイメージがありました。
またマイクパフォーマンスの内容が人を惹きつける「ツボ」を知っていたように思えます。
古館伊知郎は「青春バタフライ」と叫び、辻よしなりは「黒のカリスマ」と連呼していました。
「蝶野正洋」と「nwo」ブーム
「nwo」
これは世界的ブームになったプロレスユニットですね。
nWoはNew World Orderの略です。
日本に訳すと「新世界秩序」となります。
もともとあった言葉で、第一次世界大戦後くらいから現れたワードだそうです。
1996年に登場したユニットです。
出典:新日本プロレス公式サイト
結成時のメンバーは、
「ハルク・ホーガン」
「スコット・ホール」
「ケビン・ナッシュ」
とそうそうたるメンバーでした。
nWo旋風は瞬く間にアメリカ全土に広がり、そこから世界へ広がります。
そして「nWo JAPAN」が誕生しました。
多くのレスラーが合流し、大勢力として新日本プロレスで暴れまわりました。
ビックマッチでのド派手な入場で観ているファンを虜にしていました。
なんといってもロゴの入ったTシャツが爆発的に売れました。
当時は、あのロゴのデザインがとてもカッコよかったのもあります。
その後の自分で立ち上げたブランドの「ARISTRIST(アリストトリスト)」というブランドも成功しました。
人気絶頂の武藤敬司、天山広吉、スコット・ノートンなどの主力選手が揃って加入したことに次は誰が入るのか?
とワクワクしました。
ヒールユニットがあそこまでの人気になったことは、現在のプロレス界でのベビーフェイスやヒールのカテゴリーを良い意味で曖昧にさせ、ファンはヒールのプロレスラーでも自信をもって応援していいんだという風潮になっていきました。
メンバーが増殖していくというストーリーも現在のプロレス界に大きな影響を与えたのではないのでしょうか。
「蝶野正洋」と踊る!猪木御殿!
2002年の北海道で蝶野が猪木をリングに上げました。
その意図は、現在の自分たちの思いをぶつけるためです。
このころは新日本プロレスが総合格闘技色が強くなっていて、プロレスと総合格闘技について選手たちは大きなジレンマを抱えていました。
そんな時に蝶野正洋を中心にい選手たちがリング上でアントニオ猪木を囲み、猪木に対して物申した事件です。
これがだいぶ想定外の方向に進んでしまいました。
選手たち主体で進めたかったのですが、猪木が選手の気持ちを1人1人聞いて行く流れとなりました。
これがちょっと面白くて今でも語り継がれています。
選手たちはもちろん本気でやっています。
それはホントに伝わります。
「踊る!猪木御殿!」についてもっと知りたい方はコチラ↓↓
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「蝶野正洋」と電流爆破
大仁田厚との抗争もありました。
大仁田の挑発に始めは無関心を通しましたが、執拗な挑発にとうとう大仁田の土俵に上がりました。そして1999年に「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」を行いました。
結果は、蝶野が勝ちました。
大仁田厚というレスラーを最大に表現させて勝ったという試合です。
「蝶野正洋」と東京ドーム
蝶野がブレイクしていた時代のドーム大会の入場は、とてもお金がかかっていて派手でした。
観客動員数も多かったので、新日本プロレスはドーム大会を連発していました。
大きいハマーに乗って入場してきた時は、素直にスゲェと思いました。
試合の内容は忘れましたが(笑)
「蝶野正洋」の得意技
蝶野は得意技は派手ではありませんでいたが、誰もが知っている技ばかりでした。
STF
蝶野正洋といえばこの技です。ルー・テーズに伝授された技です。
「STF」
ですよね。
Stepover Toehold With Facelock
(ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック)
の略です。
ルー・テーズの道場で指導を受けた蝶野がフィニッシュホールドとして使うようになって日本に広まりました。
ルー・テーズとカール・ゴッチこのレジェンドの二大巨頭に関わっていることが私はすごいなと思います。
この技でG1優勝を果たし、この技で新日本プロレスのトップに躍り出た、プロレス界において大きな貢献をした技だと思っています。ギブアップを狙えるのはもちろんですが、相手のスタミナを大きく消費させる寝技です。
ヤ○ザキック/ケンカキック
蝶野独特のムーブの前蹴りです。このキックで試合の流れを自分に呼び込んだり、フィニッシュ技としても使える万能の打撃技です。その蹴りの見た目から始めは「ヤ○ザキック」と呼ばれていましたが、やはりイメージが悪いので「ケンカキック」と呼び名が変わりました。時代背景が伺えますね。
出典:でもなぁ速報
ケンカキックからのSTF。
これが決まると相手はギブアップするしかない!という勝利の方程式でした。
「蝶野正洋」とコスチュームの変遷
黒主体のコスチュームになる前は、膝下まであるタイツを着用していました。
サイドのラインに遊び心がありました。色を変えたりしていたのを記憶しています。
そして、黒のコスチュームにイメージチェンジ!
黒のロングタイツにサングラス姿。黒のカリスマが生まれました。
出典:週刊プロレスmobile
「蝶野正洋」の入場曲
蝶野正洋の入場曲
「CRASH〜戦慄〜」
イントロが素晴らしい曲です。黒のカリスマ登場に興奮する曲になっています。
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【プロレスラー入場曲】個人的ランキング紹介です!三沢光晴、内藤哲也などなど1980年代から2021年まで!
「蝶野正洋」と名言
蝶野正洋は、長いコメントで様々な名言を残していますが、短いフレーズでも記憶に残る言葉を残しています。
「俺だけ見てりゃいいんだよ!」
「ガッデム!」
「アイ・アム・チョーノ!!」
「蝶野正洋」とG1クライマックス
蝶野と言えばもうひとつ代名詞があります。
それは
「夏男」
「G1男」
という称号です。
出典:新日本プロレス公式
理由は、新日本プロレスの真夏の祭典「G1クライマックス」の最多優勝記録(5回)を持っているからです。
真夏の7月~8月に開催される長いリーグ戦(トーナメントだったこともあります)なので、暑さとリーグ戦に強いということがわかりますね。
過去の「G1クライマックス」歴代優勝者について知りたい方はコチラ↓↓
「蝶野正洋」まとめ
「蝶野正洋」
プロレス界に残した功績は大きいです。
プロレスラーは、「強さ」と「自己プロデュース力」の2つの力が備わってないとトップにはなれない。
を教えられたように思います。
ファイトスタイルや発言、試合外での行動は、現在のプロレス界にも影響を与えていると思います。