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プロレスの起源と歴史/「日本プロレス殿堂会」の発足。初のプロレスラーは元力士「ソラキチ・マツダ」と言われています。

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プロレス

私はプロレスは四角いリングで見せる

「終わらない連続ドラマ」

だと思っています。

このレスラーとこのレスラーはただ対戦しているのではなく、こうこうこうなって、だから戦うのだという理由があります。

そのなかで格闘技を基本とした打撃や投げ、関節技をお互い競い合って相手に仕掛け観客を興奮させます。そして自分の個性をパフォーマンスとして爆発させていきます。このようなエンターテイメントの要素があるのもプロレスが長く人気がある理由でしょう。

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プロレスの正式名称は?

プロレスの正式名称は、プロフェッショナルレスリングです。そう呼ばれる以前は、西洋相撲(角力)と呼ばれていました。

アメリカでは「レスリング」、メキシコでは「ルチャリブレ」、ヨーロッパでは「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」と呼ばれています。

プロレスのプロとアマチュアと区別の仕方は?

メキシコにはアマチュアとプロを区別するライセンス制度がありますが、日本ではプロとアマチュアの区別の仕方は興行としての観戦料が発生するかしないかで区別することが多いです。

アマチュアプロレスは、プロスタイルレスリング、ノンプロレスと表記されることもあります。

プロレスの起源は?

起源はイギリスのランカシャー地方のランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)である説と、アメリカでレスリングのグレコローマンスタイルを賞金マッチで行ったものが起源だという説がありあます。はっきりとどちらとは言えません。

日本人初のプロレスラーは?

日本人初のプロレスラーは、元力士だった、「ソラキチ・マツダ」と言われています。

その後マツダといっしょにアメリカでレスラーとして活躍していた「三国山」が、日本で初めてのプロレス興行を開催したそうです。残念ながら観客は集まらなかったそうです。

日本のプロレス元年は1951年

日本におけるプロレス界の誕生年は1951年とされています。その年は、皆さんご存知の「力道山」がデビューした年だそうです。

それからプロレスは大人気となっていきます。戦後間もない頃で、力道山が外国人レスラーを空手チョップで倒す戦いが、日本国民の反米感情を大いに掻き立てて、プロ野球や大相撲と並ぶ人気を得ました。

「全日本プロレス」と「新日本プロレス」の誕生

力道山の死去後は、アントニオ猪木が新日本プロレス、ジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げして今のプロレスの源流を作りました。

ふたつの団体のスタイルは異なり、全日本プロレスは、王道と呼ばれ、明るく楽しく激しいプロレスと言うスローガンでエンターテインメント性を意識した団体でした。新日本プロレスは、ショー的な要素は入れつつも、ガチンコを意識したスタイルを目指した団体でした。プロレス最強を掲げ、異種格闘技戦にも積極的に挑みました。

その後は、ジャイアント馬場の弟子である、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、アントニオ猪木の弟子である藤波辰辰己、長州力の活躍で人気を不動のものとしました。

後に新日本プロレスでタイガーマスクがデビューして新しいプロレスのスタイルが確立され、UWFが旗揚げされたことによって、後の総合格闘技の布石となりました。

「日本プロレス殿堂会」の発足

2021年にプロレスの歴史やプロレスラーを後世に伝え行くために中立後援組織『日本プロレス殿堂会』(NPH)が発足しました。

目的は、

「日本のプロレスの文化伝承、その歴史を創ってきた先人の方々、レジェンドの方々の功績を後世に伝え、敬い、引退したプロレスラーの皆様の人生をサポートしていくことを目的」

としているそうです。

「日本プロレス殿堂会」の仕組みとしては、プロレスラー報酬と言う制度を立ち上げて、収益の一部をプロレスラーや、管理・マネジメントをされている方へ本組織独自の算出法にて、永続的に分配する。現在サポートが必要なレスラーや今後引退するプロレスラーの方々への保障や、事故等やむを得ない事情でサポートが必要となったプロレスラーやそのご家族など、多方面への支援、チャリティーも今後の活動の中心として視野に入れているそうです。

 

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