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全日本プロレスの「四天王」はなにが凄かったのか?あの時代を個人的に回想しました!

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私が10代の頃はまだプロレス団体が多くなく、見ていたのは

「新日本プロレス」

「全日本プロレス」

「みちのくプロレス」

「FMW」

などでした。

テレビで毎週放送されていたのが、「新日本プロレス」と「全日本プロレス」でした。

今回は私の10代の頃の全日本プロレスについて話したいと思います。

全日本プロレスで語り継がれるレスラーたちで欠かせないのが

「四天王」

です。

「四天王」と言えば、

「三沢光晴」

「小橋建太」

「川田利明」

「田上明」

の4人です。

今回は、私の個人的主観で「全日本プロレス」と「四天王プロレス」を紹介します!

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全日本プロレス「四天王」の時代は1990年代

1990年代が「四天王」の盛り上がりの全盛期でした。見るほうも時に引くこともある激しいプロレスを繰り広げていました。

この時代の全日本プロレスの試合の特徴として、

「試合時間の長さ」

「危険な投げ技、打撃技」

「バックステージコメントなど何も語らない寡黙なプロレス」

この要素がプロレスファンを熱狂させていました。

全日本プロレスの掲げる「王道プロレス」とはどんなスタイル?

「王道プロレス」とはジャイアント馬場が提唱したスタイルのことを表します。

「明るく、楽しく、激しく」というスタイルを目指すというものです。

この時代は、全日本プロレスのレスラーがそれぞれの役割を担っていました。

楽しいプロレスは、興行前半での永源遥の「唾飛ばし」やラッシャー木村の「マイクパフォーマンス」で笑わせて(楽しく)もらいます。中盤の試合では日本人レスラー、外国人レスラーどちらもさわやかなファイトを見せてくれます(明るく)。そしてメインイベントで相手の首を狙い合う(激しい)プロレスが見れるわけです。

新日本プロレスが掲げる「ストロングスタイル」と比べられることが多かったです。「ストロングスタイル」は相手をぶっ潰すという戦闘的な提唱です。

全日本プロレスの「四天王」と呼ばれたレスラー

私の思い出とともに「四天王」と呼ばれたレスラーを紹介します。

「三沢光晴」

なんと言ってもプロレス界のレジェンド。そして「エルボー」です!「フェイスロック」もありますが!

「エルボー」という多くのレスラーが使うことができる打撃技を究極までに創り上げたレジェンドです。

「エルボー」以外にも、「タイガースープレックス」「タイガードライバー」「エメラルドフロウジョン」など今でも多くのレスラーに使われる技を開発しています。相手に仕掛ける技だけでなく「受け」の技術がとても高かったと言われていて、急角度のバックドロップ、断崖式の投げ技などを多く受けながら試合に勝っていました。

亡くなられてしまい、試合が見れないのはとても残念ですが、映像で残っているので改めて凄さがわかりました。

「小橋建太」

剛腕ですね。新人の頃から見ていました。とても体が細かった記憶があります。全盛期の体は大きくてヤバいですが。ムーンサルトなども得意としていていました!

「川田利明」

キックを多用するファイトスタイルです。ジャンピングハイキックは威力抜群です。パワーボムも威力抜群です。

キック、締め技(ストレッチプラム)、投げのパワーボムと三つの技で戦い抜いてきました。

「田上明」

「アームボンバー」「俺が田上だ!」など個性的な技名を残したレスラーです。バックボーンを相撲に持つレスラーです。

「超世代軍」1990年に三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太、菊池毅、小川良成によって結成されたユニットです。「打倒ジャンボ鶴田」を掲げ激しい戦いを繰り広げました。のちに川田利明、田上明が「超世代軍」を脱退し「聖鬼軍」を結成、ユニット抗争を繰り広げました。ここから「四天王」と呼ばれる時代が始まりました。その後「超世代軍」は1998年に解散しました。

レスラーだけでじゃない全日本プロレスの魅力

「ジャストミーーート!」

福沢朗アナウンサーの実況も私は好きでした。ここで生まれた有名フレーズ

「ジャストミーーーート!!」

これを必殺技が決まると叫ぶのがお決まりでした。

流行語大賞になってもいいくらい私の周りでは流行ました。

プロレスニュース

プロレス中継の終わりにあった小さいコーナーの「プロレスニュース」も好きでした。あまり生のコメントを出さないレスラーたちのコメントを代弁してしてくれていました。福沢氏のモノマネがやり過ぎと言われたこともありましたが私は好きでした。

スーパースローカメラ

スーパースローで技を見せてくれたのも革新的でした。その当時は絶対お金がかかったであろうスーパースローカメラで撮影した選手の技はレスラーの素晴らしさをあらためて見せてくれました。

「四天王」の他にも有名レスラーが活躍していました!

四天王とは脱線しますが、あのころの全日本プロレスには有名なレスラーがたくさん参戦していました。

スタン・ハンセン

小橋にバチバチラリアット食らわせてました。川田には薙ぎ倒しラリアットを食らわせてました。

パトリオット

アメリカ出身のレスラーです。アメリカ国旗をモチーフにしたマスクを被ったレスラーです。体つきがとてもカッコよく、技もスマートかつパワフルに決めていました。

ジョニー・エース

来日当初はピースサインがトレードポーズでした。戦いを重ねるうちに強いレスラーになって行きました。エース・クラッシャーやコブラクラッチ・スープレックスなど強烈な必殺技を持っていました。

スティーブ・ウィリアムス

殺人医師と呼ばれていました。パワーファイターでオクラホマ・スタンピートやバックドロップが殺人医師と言われる由来でした。

テリー・ゴディ

人間魚雷と呼ばれていました。若くしてデビューしているので年齢に見合わない風格とテクニックがありました。

個人的には、ダグ・ファーナスとダニー・クロファットの「カンナム・エクスプレス」が好きでした。

「四天王」時代まとめ

あの時代の全日本プロレスは

「受けの美学」

があったと思います。

プロレスは「受けの美学」と言われます。プロレスにおける受け身とは?

また、このころのプロレスの試合で見られ始めたのが

「断崖式」

「首を集中的に狙った投げ技」

でした。

この攻防にファンは熱狂しました。

この攻防は、すべてのレスラーが目標とする「三冠ヘビー級王座」があったからです。

3つのチャンピオンベルト/三冠ヘビー級王座の歴代戴冠者

激しい戦いを繰り広げるレスラーたちを微笑ましく見守っていたのはあのジャイアント馬場です。ホントは怖かったらしいです。。。

あーなつかしい!

今もプロレスはもちろん楽しいです!あの頃はあの頃でよき時代でした!

全日本プロレスの至宝『三冠ヘビー級王座』の歴代戴冠者