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上杉景勝と直江兼続ゆかりの福島県白河市「小峰城」に行ってきました。歴史やアクセス、駐車場など。

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旅行

こんにちは!kamikamiです。

福島県白河市にある

『白河小峰城』

に行ってきました。

この小峰城、白河駅からすごく近いんです。もう駅から降りてすぐと言ってもいいくらいの距離になりす。小峰城のすぐ前には無料駐車場もありますので、電車、車どちらで行っても不便ではないです。

これから行ってみようかと思っている方の参考になればと思います。

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小峰城とは

正確には、白河小峰城(しらかわこみねじょう)です。

福島県白河市(陸奥白河郡白河)にあった日本の城です。

シンプルに『小峰城』とも言います。

同じ白河市内にある白川城址と区別するために白河城と呼ばれることではないようです。

国の史跡に指定されていて、日本の100名城のひとつです。

史跡として指定されているのは本丸および二の丸の一部約162,859.4平方メートルだそうです。

当時の城郭の範囲は約540,000平方メートルの規模と推定されています。

広いですよね。

小峰城の歴史

小峰城の歴史を紹介しますと、南北朝期の1340年~1369年のあいだに、結城宗広の嫡子であった親朝(のちに小峰氏を創設)が、この場所に城を築いたのが始まりです。それから1504年~1520年頃には白河結城氏の本城となったと考えられています。

1590年に豊臣秀吉により所領を没収されてしまい、結城氏による白河地方の支配は終ってしまいました。

その後、蒲生氏、上杉氏など会津藩の領地となり、城代が当城におかれました。蒲生秀行の時代には城下町が整備されたそうです。

現在残る城郭は、1627年に棚倉よりきた丹羽長重が、幕府の命令を受けて1629年より大改修を行い完成させたものです。

丹羽氏以降、7家21代にわたる居城となっていましたが、1866年の阿部氏後は、二本松藩の丹羽氏が預かることとなり、1868年の戊辰戦争の白河口の戦いにより落城焼失してしまいました。

現在の城は、史実に基づき忠実に江戸時代の改修後の姿を再現した木造天守閣の三重櫓になります。

上杉景勝と直江兼続と小峰城

白河小峰城は、上杉軍が徳川家康の会津討伐に備えて、最前線の地として選んだ城です。

上杉景勝と直江兼続は来たるべき戦いに備えて城の改修を進めました。

このことから上杉軍は、小峰城をこれからの戦いにおいて非常に重要な城と考えていたんですね。

小峰城の周り

南に大手門、北に尾廻門(搦手門)、東に田町門・横町門、西に会津門・道場門がありました。

全体的にはやや不整な五角形をした城郭です。

現在は、本丸周辺部の石垣及び堀の一部が残存しているだけだそうです。最近の発掘調査で、大手門、会津門、道場門、三の丸門、太鼓門、藤門などの門跡の位置が特定されました。また武家屋敷の状況についても明らかになりつつあるあそうです。

平成3年には三重櫓、平成6年には前御門が史実に忠実に復元されています。

アクセス

鉄道を利用する場合

JR東北本線、白河駅下車、徒歩で約5分です。改札を出て左にある高架下の連絡通路を歩いて抜けると城に着きます。連絡通路には、小峰城の歴史や白河の歴史がパネルで展示してあります。

車を利用する場合

東北自動車道白河ICを降りて約10分くらいになります。無料駐車場(30台)があります。駐車場は三の丸になります。

開館時間

4月~10月 9時30分~17時

11月~3月 9時30分~16時

※12月29日~1月3日は休業です。

変更になっている場合もあるのでホームページなどで確認してからお出掛けすることをオススメします。↓↓

小峰城跡【こみねじょうあと】 | 白河市公式ホームページ (city.shirakawa.fukushima.jp)

カメラの設定を変えたらミニチュアのような写真が撮れたのでおまけで載せておきす。

白河へ来た際は是非とも小峰城へ行ってみて下さい。

小峰城周辺の観光スポット

小峰城の東へ向かうと「戊辰薩摩藩戦死者墓」や「旧小峰城太鼓櫓(移築)」、「蛇尾の石垣」があります。

「旧脇本陣柳屋旅館 蔵座敷」は1804年に大名や役人の旅館、脇本陣として建設されました。戊辰戦争時は斎藤一などの新撰組隊士も泊まったそうです。白河市が個人から譲り受け、1億5千万円をかけて修復しました。

また、城外での見どころは関東から東北への入口であった「白河の関」があります。

風情を楽しみたいときには、白河藩主の松平定信が造った「南湖公園」がおすすめです。