こんにちは!kamikamiです!
昭和と平成のプロレスを見てきたファンに
「橋本真也」と「蝶野正洋」
と聞くと、いろいろなエピソードを話してくれるはずです。
最近は、この2人の現役時代を知らないというプロレスファンも増えてきました。
これはプロレスラーの世代交代なので仕方のないことなんです。なにせ小島聡や天山広吉、永田裕志などの前の世代のレスラーになりますからね。
なんといってもこの2人は「強い」だけではなく、とっても「個性」がありました。
今回は、プロレス観戦初心者の方にもわかりやすく
「橋本真也」と「蝶野正洋」
を紹介していきます。
この記事を見るとわかります!
「橋本真也」とはどんなレスラーだった?
「パンタロン」と「白い長い鉢巻」のプロレスラーと言えば!
橋本真也!
出典:casaskrea.com
私たち昭和平成世代のプロレスファンは即答するでしょう。「破壊王」と付け加えて。
古館伊知郎は「戦う渡辺徹」と呼び、辻よしなりは「爆殺シューター」と叫んで実況していました。
残念ながら2005年に亡くなっています。
私服が個性的
私服が個性的でした。襟付きのスーツがトレードマークでした。
出典:週刊プロレスmobile
坊主
柔道王小川直也との抗争が橋本真也のプロレスキャリア最大の転換期だったのではないのでしょうか。小川との抗争の中で坊主になったこともあります。
異種格闘技戦
柔道王小川直也との初対決。誰もが橋本真也が絶対勝つと思っていました。
しかし結果は裸締めでまさかのギブアップ負け。
その後復活を懸け
「橋本真也VS小川直也/橋本真也負けたら即引退!」
とした試合がゴールデンタイムで生放送されました。
結果まさかの橋本真也のTKO負け。
出典:伊賀プロレス通信24時
ちょうど橋本が負けた瞬間にテレビ中継が終わってしまったので、
「えっ!こんなあっけなく橋本が引退?ウソでしょ!?」
テレビの前で呆然としたことを覚えています。
ボクサー「トニー・ホーム」との異種格闘技戦も記憶に残っています。
トニー・ホームが生粋のボクサーだったのかは謎です。
トニー・ホームのパンチを受けまくってしまう橋本真也の人間っぽさを見てファンはますます橋本真也が好きになった人も多かったともいます。
今でも語り継がれる名言
G1で悲願の優勝を果たした時のインタビューで
「やっと優勝することができました!」
このひと言に今までの苦悩などのすべてが詰められていました。
それより前になりますが、猪木世代との世代交代を目指す橋本真也は蝶野正洋とタッグを組み、アントニオ猪木と坂口征二組と戦いました。その試合前の控室でのインタビューで、アントニオ猪木は名言「最初から負けると思って戦う奴がいるか!」とインタビュアーをビンタしたのに対し、橋本真也は「時は来たそれだけだ」と一言だけ答えました。ファンはもっとイキったコメントを期待していましたのでちょっと拍子抜けという感じでファンは、ぽかーんとなる空気でした。後ろで聞いていた蝶野がちょっと笑ってしまっているのがその状況を現しています。
コラコラ問答
長州力との試合の外でのやり取りで今でも語り継がれていますね。
お互いに「コラ」を連呼して言い合うという口喧嘩です。
詳しくはコチラを↓↓
関連記事:「コラコラ問答」の全文紹介!「プリキュア」と意外な関係が!「踊る!猪木御殿!」も紹介します。
得意技
自身の重い体重を生かした技を得意としていました。
水面蹴り
橋本の水面蹴りは見るからに重そうです。相手は両足ごとどころか体ごと刈られます。
DDT
橋本真也の重い体重が乗ったDDTは説得力抜群のフィニッシュ技でした。
関連記事:【なんでDDTって言うのか?】技の名前の由来をシンプルに紹介します!
垂直落下式DDT
G1優勝を決めた技です。
この技で高田延彦も倒し、流出したIWGPヘビー級ベルトを新日本プロレスに戻しました。
闘魂三銃士
武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の同世代の3人は闘魂三銃士と呼ばれ、それはそれは大変な人気でした。
出典:webSportiva
それぞれキャラクターがわかりやすかったので見やすく、誰が飛び抜けて人気があるとかはなかったので、「三銃士」として人気があったのだと思います。
「橋本真也」入場曲
橋本真也の入場曲「爆勝宣言」
この曲が流れると「はっしもと!はっしもと!」と皆が連呼しながら手拍子する有名な入場曲です。
その他いろいろな入場曲を知りたい方はコチラ↓↓
関連記事:プロレスラー入場曲 私の個人的ランキングの紹介です!三沢光晴、内藤哲也などなど1980年代から2021年まで!
もし現在でも生きていたらどんなプロレス界になっていただろうといまでも思ってしまいます。
「蝶野正洋」とはどんなレスラーだった?
私の蝶野正洋のイメージは「黒い策士」です。
試合の流れをポイントで確実に掴み勝利するという頭脳派のイメージがありました。
またマイクパフォーマンスも内容が人を惹きつけるツボを知っていたように思えます。
古館伊知郎は「青春バタフライ」と叫び、辻よしなりは「黒のカリスマ」と連呼していました。
今では「ビンタの」人と思ってる人も多いかもしれません。この方実は、プロレス界でレジェンドと呼ばれてもおかしくないほどのプロレス界に功績のある方なんですよ。
現在は腰の具合が悪いためプロレスはしていません。
社会貢献活動でメディアに登場することが多いです。
現在は、一般財団法人日本消防協会消防応援団、一般社団法人NWHスポーツ救命協会代表理事、ガールズ&パンツァー劇場版応援大使など、プロレス以外で活躍しています。
nowブーム
「nwo」エヌ ダブリュー オー
これは世界的ブームになったユニットですね。
nWoってNew World Orderの略です。
日本に訳すと「新世界秩序」となります。
もともとあった言葉で、第一次世界大戦後くらいから現れたワードだそうです。
1996年に登場したユニットです。
出典:新日本プロレス公式サイト
結成時のメンバーは、
「ハルク・ホーガン」
「スコット・ホール」
「ケビン・ナッシュ」
でした。
nWo旋風が瞬く間にアメリカ全土に広がり、そこから世界へ広がります。そして「nWo JAPAN」が誕生しました。一大勢力として新日本プロレスで暴れまわりました。
ビックマッチでのド派手な入場で観ているファンを虜にしていました。
なんといってもロゴの入ったTシャツが爆発的に売れました。
出典:マイナビニュース
当時は、あのロゴのデザインがとてもカッコよかったのもあります。
その後の自分で立ち上げたブランドの「ARISTRIST(アリストトリスト)」というブランドも成功しました。
人気絶頂の武藤敬司、天山広吉、スコット・ノートンなどの主力選手が揃って加入したことに次は誰が入るのか?とワクワクしました。
ヒールユニットがあそこまでの人気になったことは、現在のプロレス界でのベビーフェイスやヒールのカテゴリーを良い意味で曖昧にさせ、ファンはヒールのプロレスラーでも自信をもって応援していいんだという風潮になっていきました。
メンバーが増殖していくというストーリーも現在のプロレス界に大きな影響を与えたのではないのでしょうか。
踊る!猪木御殿!
2002年の北海道で蝶野が猪木をリングに上げ、理由は現在の自分たちの思いをぶつけるためです。その時代は新日本プロレスが総合格闘技色が強くなっていて、プロレスと総合格闘技について選手たちは大きなジレンマを抱えていました。そんな時に蝶野正洋を中心にい選手たちがリング上でアントニオ猪木を囲み、猪木に対して物申した事件です。
これが少し想定外の方向に進み、結果として猪木が選手の気持ちを聞いて行く流れとなりました。これがちょっと面白く今でも語り継がれています。選手たちはもちろん本気でやっています。それはホントに伝わります。
「踊る!猪木御殿!」についてもっと知りたい方はコチラ↓↓
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突然のキャラ変宣言
1994年のG1クライマックス優勝直後のリング上で突然の不満を叫ぶコメントをしました。
コメントを聞いていたファンは少しの時間あっけにとられました。
今思えば、闘魂三銃士のなかで比較的優等生で地味なイメージがあった蝶野が、「黒のカリスマ」として一気にプロレス界のトップに上り詰める始まりの瞬間でした。
闘魂三銃士
武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の同世代の3人は闘魂三銃士と呼ばれそれは大変な人気でした。それぞれ個性やキャラクターが固定されていたので、誰が飛び抜けて人気があるとかはなくそれぞれ人気があったと思います。
出典:週刊女性PRIME
関連記事:【闘魂三銃士】から【令和闘魂三銃士】へ!炎上騒動の理由を探る!
電流爆破
大仁田厚との抗争もありました。大仁田の挑発に始めは無関心でしたが、執拗な挑発にとうとう大仁田の土俵に上がりました。1999年に「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」を行いました。結果は蝶野の勝ちですが大仁田厚というレスラーを最大に表現させて勝ったという試合です。
「ハマー」で入場
あの時代のドーム大会の入場は、とてもお金がかかっていて派手でした。観客動員数も多かったので、新日本プロレスはドーム大会を連発していました。
大きい外車の「ハマー(hummer)」に乗って入場してきた時は、素直にスゲェと思いました。
試合の内容は忘れましたが(笑)
蝶野正洋の得意技
STF
蝶野正洋といえばこの技です。ルー・テーズに伝授された技です。
「STF」
ですよね。
Stepover Toehold With Facelock
(ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック)
の略です。
名レスラー「ルー・テーズ」の道場で指導を受けた蝶野がフィニッシュホールドとして使うようになって日本に広まりました。
「ルー・テーズ」と「カール・ゴッチ」、このレジェンドの二大巨頭に関わっていることが私はすごいなと思います。
この技でG1優勝を果たし、この技で新日本プロレスのトップに躍り出た、プロレス界において大きな貢献をした技だと思っています。ギブアップを狙えるのはもちろんですが、相手のスタミナを大きく消費させる寝技です。
ヤ○ザキック/ケンカキック
蝶野独特のムーブの前蹴りです。このキックで試合の流れを自分に呼び込んだり、フィニッシュ技としても使える万能の打撃技です。その蹴りの見た目から始めは「ヤ○ザキック」と呼ばれていましたが、やはりイメージが悪いので「ケンカキック」と呼び名が変わりました。時代背景が伺えますね。
ケンカキックからのSTF。
これが決まると相手はギブアップするしかない!という勝利の方程式でした。
関連記事:【プロレスのキック】を考える!「ケンカキック」から「ローリングソバット」まで!
コスチュームの変遷
黒主体のコスチュームになる前は、膝下まであるタイツを着用していました。サイドのラインに遊び心がありました。色を変えたりしていたのを記憶しています。
黒のコスチュームにイメージチェンジ!
黒のロングタイツにサングラス姿。黒のカリスマが生まれました。
出典:週刊プロレスmobile
「蝶野正洋」の入場曲
蝶野正洋の入場曲
「CRASH〜戦慄〜」
イントロが素晴らしい曲です。黒のカリスマ登場に興奮する曲になっています。
夏男/G1男
蝶野と言えばもうひとつ代名詞があります。
それは「夏男」という称号です。
出典:新日本プロレス公式
理由は、真夏の祭典「G1クライマックス」の最多優勝記録(5回)を持っているからです。
「ミスターG1」と言われるほど強かったです。
真夏の7月~8月に開催される長いリーグ戦(トーナメントだったこともあります)に強いということがわかりますね。
過去の「G1クライマックス」歴代優勝者について知りたい方はコチラ↓↓
関連記事:『G1クライマックス30』出場選手と歴代優勝者まとめ
「橋本真也」と「蝶野正洋」が残したもの
「橋本真也」と「蝶野正洋」
この2人がプロレス界に残した功績は大きいです。
「橋本真也」から、いくらもがいてもなお谷底に落とされるという勝負の非情さを教えられ、「蝶野正洋」からは、プロレスラーは強さの力と自己プロデュース力の2つの力が備わってないとトップにはなれないこと。を教えられたように思います。
この2人のファイトスタイルや発言、試合外での行動は、現在のプロレス界にも影響を与えていると思います。
ひと昔前のレスラーの現役時代をリアルタイムで観ていないアナウンサーが興味を持ってそのレスラーのことを調べて、そしてイメージをして、入場曲を耳コピしてピアノ演奏する時代が来るとは思いもしませんでした。
プロレスに少しでも興味を持ってくれる人を昔からのプロレスファンの私たちは大事にして行かなければなりません。決してこちらの長年の知識をゴリ押ししてはいけません。
これからの目標として、新しいプロレスファンを温かく迎え入れて、いっしょに今の時代のプロレスを楽しむことが大事です。