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「ジュニア8冠王座」初代王者と出場選手賭けられたベルトの紹介!

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プロレス

こんにちは!kamikamiです。

今回は

『ジュニア8冠王座』

の思い出です。

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「ジュニア8冠王座」とは

「ジュニア8冠」の歴史は、1996年から始まります。

日本武道館で、なんと!8つのジュニアのタイトルマッチが行われたんです!!

その大会名は

『THE SKY DIVING-J』

ジュニアの戦いにふさわしい大会名ですよね。

この大会の全試合終了後に、獣神サンダーライガーが呼びかけました。

「みんな自分のベルトを懸けて最強のジュニア戦士を極めようじゃないか!」

なんとも興奮する発言!!

「8つのジュニアヘビー級王座統一」

という未だかつてない提案。これに選手とプロレス団体が賛同して、おのおのの持つジュニアヘビー級王座のベルトを賭けて行われたトーナメント戦が開催されることとなりました。

大会名は

「J-CROWN」

これもまた興奮する大会名!

ここで誕生した究極の王座が、

「ジュニア8冠王座」

なんです。

大会形式はトーナメント戦で、試合に勝利すると相手のベルトを巻くことができ、勝ち進むと優勝者は全部で

「8本のベルトを巻く」

ことになるファンにはたまらない大会でした。

「王座」とは言いますが、厳密には各プロレス団体のベルトを巻いた状態ということでした。しかし、プロレス界を活性化させた素晴らしい大会だったことは間違いないです。

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「J-CROWN」の参加選手・賭けられたベルト

この大会の参加選手と懸けられたベルトを紹介します。

ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス) IWGPジュニアヘビー級ベルト

1986年創設で、新日本プロレスが管理する王座です。

ウルティモ・ドラゴン(WAR) インターナショナルジュニアヘビー級ベルト

1995年WARによって設立されました。封印・復活を繰り返し、現在は天龍プロジェクト管理となっています。

エル・サムライ(新日本プロレス) WWF世界ライトヘビー級ベルト

アメリカのプロレス団体WWF、現WWEにかつて存在していた王座です。2001年WCWクルーザー級王座がWWFクルーザー王座と改称されたため廃止されました。

大谷晋二郎(新日本プロレス) UWA世界ジュニアヘビー級ベルト

UWAが管理していた王座です。1997年にメキシコのLLIが創設しました。

新日本プロレスのジュニア戦線で大活躍したその後、ZERO-ONEに移籍しました。

大谷晋二郎は2022年4月に大怪我をしてしまいました。

大谷晋二郎についてもっと知りたい方はこちら↓↓

「大谷晋二郎」が頚髄損傷の大怪我!現在の容態は?復活へのエールをピアノ演奏で送る「KFBアナウンサー岩渕葵さん!」

グラン浜田(みちのくプロレス) WWA世界ジュニアライトヘビー級ベルト

「小さな巨人」としてメキシコ仕込みのルチャ殺法で日本とメキシコで活躍しました。

獣神サンダー・ライガー(新日本プロレス) 英連邦ジュニアヘビー級ベルト

言わずも知れたレジェンドですね。長い間新日本プロレスのジュニア戦士として活躍しただけではなく、アメリカなどでも活躍した素晴らしいレスラーです。

茂木正淑(レッスル夢ファクトリー) NWA世界ジュニアヘビー級ベルト

NWA(National Wrestling Alliance)の本部直轄のタイトルです。

現在は王者不在となっています。

インディー団体「レッスル夢ファクトリー」からの参戦でした。

見ていた私は、インディー団体からメジャー大会に参戦する茂木に「夢あるわー」と思っていました。

ネグロ・カサス(EMLL) NWA世界ウェルター級ベルト

NWA(National Wrestling Alliance)

の本部直轄のタイトルです。

出典:フリー百科事典「Wikipedia」

メキシコのレジェンドレスラーです。実力は恐ろしいほどあります。

優勝は「ザ・グレート・サスケ」準優勝は「ウルティモ・ドラゴン」

決勝戦は、

ザ・グレート・サスケVSウルティモ・ドラゴン

でした。

サスケが、場外へ飛んだ際に頭から落下し頭蓋骨を骨折してしまいますが、そのまま試合を続けるという衝撃的な内容で、最後には勝利すると言う壮絶な試合でした。

出典:新日本プロレス公式サイト

優勝

ザ・グレート・サスケ

準優勝

ウルティモ・ドラゴン

この大会の時は私は23歳くらいだったと思います。選手入場時にベルトを持った水着美女「Jガール」?(と呼ばれていたか忘れてしまいましたが)と入場する演出にいろんな意味の興奮をしていたことを今でも覚えています。大会演出も素晴らしかったです。

大会提言者の獣神サンダー・ライガーが一回戦で早々に敗退してしまうのは驚きでした。

ザ・グレート・サスケが8本のベルトを体中に巻く姿は圧巻でした。

「8冠王座」は、その後はどうなった?

ザ・グレート・サスケが初代8冠王座となったあと、ウルティモ・ドラゴン、そして獣神サンダー・ライガーが戴冠しました。

その後、ライガーがWARの安良岡裕二と「WARインタージュニア」のベルトのみを懸けて戦いました。結果ライガーが負けたことで「8冠王座」から「7冠王座」となりました。

「7冠王座」になってからは、エル・サムライそして大谷晋二郎へ王座が移りました。

1997年に、残りのベルトすべてが管理団体に返還され、統一王座が消滅しました。

「8冠王座」まとめ

のちに、獣神サンダー・ライガーはインタビューで、

「最初はファンの反応は考えてなく、自分が気になるレスラーを呼んで試合がしたかった。後からファンが付いてきた」

と語っていました。

「自分のやりたいことをやってみる」

平凡なサラリーマンの私にはとても響く言葉でした。

でも、やりたいことを実行するためには、自分の地位を築くことが必要です。

そうしないとやりたいことを話しても説得力がありませんからね。

ライガーというジュニアの第一線、最前線で活躍していた人が提案したことで実現できたんですね。

本当にあの大会は夢を見せてくれた素晴らしい大会でした。

獣神サンダー・ライガーに感謝です。

この頃のジュニア選手を知りたい方はコチラ↓↓

1994年のジュニアヘビー級レスラーを忘れない!!ライガー、サスケ、サムライ、ハヤブサなど!